太郎右衛門が教えます!五郎島の歴史

こんにちは!

私がこの五郎島にさつまいも栽培を伝えた太郎右衛門です。

今からおよそ300年前、元禄の時代に遠くさつまの国(鹿児島)から、

ここ加賀の国(石川県)へ種芋を持ち帰り、栽培を始めました。

 

日本海に面した五郎島はさつまいもの成育に最適な砂丘地です。

通気性、保水性に富む小さくもなく大きくもない砂丘の土壌が、

格別に美味しいさつまいも五郎島金時を育むのです。

 

一度食べたら忘れられない日本一の味、

「コッボコボ」の五郎島金時を食べてみまっし!!

五郎島の歩み

天正11年(1583) 前田利家金沢城に入城。
年代不詳 不破家家臣五郎島に定住を始める。
慶長 2年(1597) 不破家が真言宗安養山広誓寺を建立。
慶安元年(1648) 建村当時100石余りが発達し、この頃には250石以上となる。 (1石/300歩)
 農業とともに漁業も営んでいたが、外海のいか釣りに出漁中に大暴風雨に遭い、
 全村の男子が殆ど死に絶えた事があったため、外海を断念し海岸線を放棄した。
 海の大きな遭難を何々ダオシと呼んで風向きに対する心得とするが、
 ゴロジマダオシという言葉で現在も残っている。
慶安 3年(1650) 広誓寺が浅野町に移転。境内2000余坪に七堂伽藍の完備した壮大な寺を建て、曹洞宗本源山広誓寺とした。
寛文 9年(1669) 現粟崎小学校裏山に御旅屋御亭が落成。歴代藩主が鷹狩や御舟遊びの折の休息所とした。
元禄10年頃(1697) 太郎右衛門が薩摩の國よりさつまいもの苗を持ち込んだと言われる。この頃日本初の総合農業技術書である宮崎安貞の「農業全書」が刊行される。
明治36年(1903) 怪物「アザラシ」を大野川で捕らえる。大人二厘、子供一厘の木戸銭をとって見世物にした。氏神八幡神社に絵馬が奉納されている。
大正10年頃~ 奴を内灘町宮坂に指導。
大正12年(1923) さつまいもの貯蔵を試みる。その後研究を重ねて全村に及ぶ。
大正14年(1925) 村財政窮乏の折、学校の増築その他多くの費用捻出のため日本禁酒同盟に加入し禁酒断行を宣言した。お盆は禁酒盆踊りとなり、百人一首は禁酒百人一首となる。奴を大根布に指導。
昭和10年(1935) 町村併合により金沢市五郎島町となる。金沢市編入記念河北潟一周駅伝大会に青年団出場。
昭和16年(1941) 太平洋戦争開戦。
昭和20年(1945) 敗戦。戦後の復興を求めて新農村建設同盟を結成。
昭和21年(1946) 生活困窮者援護としてに芋ずる(1300貫)供出し、金沢市から感謝状を受ける。育苗を主とする電熱組合、家庭を電化する電化組合を組織し電化農村の基盤を築き中央の大新聞にも「石川県五郎島の電化農村」と大きく取り上げられた。
昭和27年(1952) 百万石まつりがスタート。子ども奴が参加。その後毎回出演する。
昭和38年(1963) 金沢港建設を県、市が打ち出し、協力を求められる。開村以来耕してきた田畑や、宅地の提供による集団移転という大事業に町内大きく揺れる。
昭和48年(1973) 町会役員、成田空港の移転補償の状況、反対同盟の活動状況を視察。
昭和50年(1975) 移転補償交渉妥結。創始以来のふる里の地最後の秋祭りを盛大に執行。
 新しい町造りが始まる。年末には十数戸が早くも移転が終わり、
 夜には町らしい灯がまばたくようになる。一方空き家となった祖先からの住まいは
 次々に壊されて、住んでいた人々にのみ見えた喜びや悲しみは、
 日を追ってその姿を変えて無残なものとなって行った。
昭和52年(1977) さつまいものキュアリング貯蔵始まる。
この貯蔵法により腐敗芋は減少し、一年中出荷が可能となる。
昭和57年(1982) 常陸宮ご夫妻に五郎島のさつまいもを献上。両陛下もお喜びとの電話が県庁に入る。
昭和59年(1984) さつまいもを「五郎島金時」と命名。
昭和62年(1987) 名産さつまいもへの「感謝を表現したい」との素朴な願いから「さつまいもの里」記念碑を建立。
昭和63年(1988) JA金沢市粟五さつまいも部会発足。45軒で共販始まる。
平成9年(1997) 金沢市農産物ブランド協会発足。さつまいもをはじめ15の農産物が「加賀野菜」として認定。
平成11年(1999) 五郎島金時を商標登録する。
平成13年(2001) 五郎島さつまいも部会に改名。現在40軒。
平成14年(2002) 五郎島金時まつり始まる。
平成17年(2005) 石川県認定エコ農業者取得。新しいキュアリング施設を建立。

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